逆算したらもう余生

仕事、結婚、恋愛、すべてに疲れて混沌とする世界の狭間でひっそりと生きています。しばらくはブログ引越しの為、過去記事が多いです。

救うべき命とは

昨日の午前中、久々にいい気候だったから、新しい道を開拓しながら犬の散歩をしていたら、
国道の高架下に浮浪者のテントがいくつかあり、その近くの草むらに小さめな黒猫が寝ていた。
「お昼寝してるのねー」と声をかけたら少し頭が動いた。
野良猫にしては珍しく逃げる様子がなかったので少し近づいてみた。

逃げなかったのではなく、逃げられなかったのだ。

毛の色と同化していてわかりにくかったが、下半身に血がついていた。
触ろうとしたら威嚇しながら精一杯の力で攻撃してきた。
その寝返った瞬間、病気なのか怪我なのかわからなかったが、腹部周辺が血まみれで足を含めた下半身がもう動かないようで、明らかに重症だった。
強い痛みを感じたのか、攻撃の直後につらそうなうめき声をあげてまた横になった。 
 
旦那も一緒だったから、どう捕獲して、動物病院に連れて行こうかを相談した。

ふと周りを見渡したら、高架の隙間にたくさん猫たちがいて、猫用のベッドまで置いてあった。
たくさんの仲間とテントの住民と暮らすこの高架下の世界が、この子の生きる場所なんだな、と思った。 
そして、こういったかわいそうな犬猫はたくさんいて助けようにもキリがないし、生きられるかどうかわからない野良猫に高額な治療費を払えるほどうちの家計にも余裕がないし、すでにうちには犬も猫もたくさんいるのでこれ以上飼うことも厳しい。

相談の結果、 自然の摂理にゆだねる気持ちで黒猫をそのままにすることにした。

それでも昨日頭のどこかでずっと気になっていた。
ほんとうにしょうがないことなんだろうか。何が正しいのだろうか。と。
夜、外出先から帰宅したときには酒も入っていて感情が高ぶり、泣きながら再度旦那に黒猫の相談をした。
でもしょうがない、という結論になった。

もう何もできないし、見るのもつらかったけど、忘れることもできなかったので、今日も一人で犬を連れてその高架下に行くことにした。
黒猫の姿はなかった。
ジョギングやら自転車やらで結構人が通る場所だったので、誰かが病院に連れて行ったのかもしれない、と思った。
ちょうどテントから人が出てきたので、
「昨日ここに怪我をした黒猫がいたんですが、その猫どこに行ったかご存じですか?」と聞いてみた。
おじいさんに近いようなおじさんは、話しかけられたことに驚いた様子でしどろもどろな話し方だったけど、
「ああ、その猫、今朝になったら死んじゃってたから、そこに埋めたよ」と教えてくれた。
おじさんにお礼を言い、その場を後にした。

覚悟はしていたけど、悲しかった。
悲しかったけど、もう苦しまなくてすむことと、ちゃんとお墓をつくってもらってよかったなあと思った。
お墓もつくってもらえない犬猫もたくさんいるのだ。

最近は、人間の勝手さで不幸になる動物について考えることが多かったけど、
誰も、何も悪くなくても、生き物は死ぬのだ。
不条理のない死は、ただひたすら悲しいだけ。 

ちょっと薄暗くじめじめした高架下で、黒猫は仲間から離れた場所で横たわりながら空を見ていた。
昨日も今日も、青空が広がる秋晴れの気持ちのいい陽気で、
昨日は「こんなに天気がいいのに、あの猫は苦しくて痛くてもう動けなくて、どんな気持ちでこの空を見ているんだろう」と思っていたけど、
亡くなった今は「最後がこんなに気持ちのいい日でよかったね」と思った。

今回の件で、あらためて、自分の家族や友人を大事にしようと思った。
いかに自分が無力か。偽善にまみれているか。
せめて、身近な人や動物たちには全力で接したい。
そして、微力ながらも引き続き犬猫保護シェルターにボランティアに行くことで、一匹でも多くの動物が救われるといいなと願う。