逆算したらもう余生

仕事、結婚、恋愛、すべてに疲れて混沌とする世界の狭間でひっそりと生きています。しばらくはブログ引越しの為、過去記事が多いです。

役割

人と人とのつながりには、必ず「役割」が発生している。
たまに「利用されている」とネガティブな感じ方をする場合もあるが、極論を言えば、すべての人間関係は利用し合うことで成り立っている。
その利用の目的、すなわち一方の役割が「お金」であったり「性欲」であったりすると、途端悪の要素が強くなるが、前向きなことで言えば、たとえば友人や恋人なら「自分を楽しい気持ちにしてもらうため」とも考えることができる。
どんな理由であれ、利用価値があるというのはとてもありがたいことなのだ。
なぜなら本当に悲しいのは、利用価値がないと判断され、関わる理由がなくなることだ。
ほとんどの場合、人には「代わり」がいる。仕事はもちろん、友人もライフステージによって変わるし、恋人や結婚相手、そして浮気相手に求める役割も、人によって異なるし、変化もする。

私の憶測もまじってしまう話になるが、
最近、不倫をしていた友人(女)がフラれた。その子も相手の男性も結婚していたのだが、一応恋人という名目だったようだ。そのフラれたきっかけは、彼女が相手の男性に「奥さんの話をしないでほしい」と言ったことだった。付き合ってからずっと奥さんの話を普通にする人で、付き合い始めは耐えられたが、二人の関係性に歪みが見え始めてからはその話が苦痛だったようで、とうとう切り出した。
男性側の心理の真実はわからないが、私が思うに、彼がしていた奥さんの話は愚痴であったようなので、逆に彼女が特別な存在だったからそういう愚痴を話せる貴重な存在で、その言葉には「妻と違ってきみとは気が合う」という愛情を含んでいるつもりだったのかもしれない、と。
結果、彼は「そんなふうに考える(言う)ならもういい」になった。彼女は彼の求める役割を果たせなくなってしまったのだ。
実際は二人の間にいろんなことがあったのも間違いなく、この説はあくまでたとえ話だ。

恋愛や結婚がうまくいかない人にありがちなのが、「相手が自分に何を求めているか」と、「自分が相手に何を求めているか」があやふやであることだ。完ぺきに合う人間はいないので、大事な部分をきちんと理解していることが重要なのだ。
もし、相手にあれもこれも、と要求するのであれば、自分も同じくらいあれもこれも与えられる人間でないといけないのに、思考が自分勝手な人は自分は未熟なのに相手には高いものを求める。
恋愛はボランティアではない。与え合うべきなのだ。
世の中にはたくさんの人がいて、その中で出会う確率も限られていて、自分が人を好きになることも、その相手もたくさんの人の中で自分を好きになってくれることも、本当に特別なことなのだ。

私は、自分が楽しく生きるために、友人や知人を利用している。
なぜなら、あの人はおもしろいし、あの人は真剣な議論ができるし、あの人は楽器がうまいし、あの人は酒が楽しく飲めるし、あの人はいつも触れ合いたい。
魅力的な人たちばかりだ。
私もできる限り利用価値のある人間でい続けたい。