逆算したらもう余生

仕事、結婚、恋愛、すべてに疲れて混沌とする世界の狭間でひっそりと生きています。しばらくはブログ引越しの為、過去記事が多いです。

最期の迎え方

(20151005)

昨日、旦那の祖父がなくなったと、出かけ先で旦那からメールが来ていた。
その後、旦那に電話をかけ話を聞いたところ、死因は「団子を食べたら喉につまらせてしまい、吐き出させたものの、そのショックで発作状態になり、そのまま帰らぬ人となったそうだ。

よくニュースで、餅をのどに詰まらせ亡くなる老人のニュースを聞くが、
これが現実に身近で起こったときに初めて気づいたことは、「その餅を与えた人が非常に苦しい想いをする」ということである。
とっさに友人に「そういうときってなんて言えばいいんだろう」と相談のLINEを送った。
私は人より常識がない上に、わずかにある常識すらわざわざ疑う傾向にあるので、定期的に、きちんと社会人や嫁をやれている優秀な友人の意見を非常に頼りにしていたりする。
結果、やはり難易度が高い状況であることはわかったし、原則自分からは必要最小限に何も言わないスタンスでいこうということになった。

伝えるかどうかは別にして、まず思ったのは「しょうがないことだ」ということ。
自分がその立場であったらやはり団子をあげたことを後悔したかもしれないけど、そもそもおじいさん自身が「団子が食べたい」と言ったそうだ。
年齢はわからないけど、おそらく90歳前後で、当然ボケもあったし、1年位前に完全に歩けなくなってしまい、施設で暮らしていた。
会いにいったものの、もう会話はまったくできない状態で言葉もうまく発せられないし、こちらの話すことを理解しているかどうかも皆無な状態であった。
本人も、年齢的にも状況的にも確実に「死」を感じていたことを考えると、いつ「それ」が訪れるかわからないがそれでも「したい」ことがある、というのは最優先でいいと思うんだ。

ふと記憶が蘇ってきて、
自分の父方の祖父が末期ガンで入院しているときの話を思い出した。
おじいちゃんは、しきりに「ビールが飲みたい」と言っていたが、はじめは医者に止められていて、飲むことができなかったそうだ。
もういつ死んでもおかしくない、となった状態になってから、父が脱脂綿にビールを染みこませて口に運んでいた。その当時のことを父は祖父の葬式やちょっと酔っ払ったときに話していて、
「どうせ死ぬなら、美味しいビールを思う存分飲ませてあげたかった」と涙ながらに後悔していた。

その父は、それから10年も経たないうちに自分自身がまったく動けず死を目の前にすることになった。
自営業の社長だったこともあり、会社の昼休みに趣味のアメリカンバイクに乗ってツーリングに出たときに、バイパスの分岐点に一人でつっこんで一人で事故に遭った。
当時も今も変わらず「まったくもって自業自得だな」と思うが、昔と変わったのは「そんな生き方がちょっとかっこいい」と思えることかな。

事故にあったのは7月24日。そこから死ぬまで約2週間。
父とは超絶仲が悪かったが、さすがに事故当日は驚いて病院に行った。
「どうせ大したことないんだろう」と思っていたものの、たくさんの機器やらチューブに繋がれ身体中に手当のガーゼが貼ってある状態を見たら、数年ずっと思っていた「パパなんて死ねばいい」も、嘘みたいに跡形なく頭から消えた。
意識不明の状態がずっと続くなか、母は毎日病院に通っていた。
ある日、一度だけ意識が戻ったらしい。
そのとき父は苦しそうに「体が痛い。つらい。」と言いながらも
「ビールが飲みたい」
と言ったそうだ。
当然、物理的に飲める状態ではないから口にはできず、母も飲ませられなかったことを後悔することもなかったようだが。

その話を十数年ぶりに思い出してしまった。

なので、旦那のおじいさんがどれほど死を覚悟していたかわからないけど、
私は、本人が団子が食べたかったならそれでいいんだと思う。


自分自身、長生きしたいとは全く思わないことは変わらないが、ちょっと前は「健康にぽっくり」とか苦しまずに死にたいと思っていた。
が、今は病気で死ぬほうがいいなと思っている。
病気で苦しむ人が聞いたら怒るかもしれないけど。

もし自分が急に死んだら、超やっかいな愛犬の世話ができる人を見つけるのも大変だし、旦那は家のことをまったくやっていないので、何がどこにあるかとか、いつもどんな家事が行われていて今の状態が保たれているのかまったく知らないので、急に自分が死んだら愛する家族がみんな困ってしまう。
そんな苦労をさせるくらいなら、自分が苦しいくらい全然耐え抜くので、「あれはこうするんだよ」と旦那に伝えたり、犬に新しい環境に慣れさせる時間が持てることの方がずっとずっと大事なのだ。(猫は扱いやすい子たちなので正直どうにでもなる。)

数年前、伊集院光氏がラジオで「死に方を考えるということは、生き方を考えるということだ」と言っていた。
その言葉自体は、前後どちらも笑ってしまうような話ではさまれていたけど、この言葉は本質だな、と思った。

ふと思ったけど、自分の酒好きは、おじいちゃんやパパの遺伝でもあるんだなーと思ったので、私も死の淵に立たされたときに「ビールが飲みたい」と言える立派な大人になりたいと思った。