逆算したらもう余生

仕事、結婚、恋愛、すべてに疲れて混沌とする世界の狭間でひっそりと生きています。しばらくはブログ引越しの為、過去記事が多いです。

またね

(20160801)

私は社交辞令を一切言わないことを心がけている。それゆえに、「絶対また会いたい」と思う人以外には、人が息を吐くように言いがちな「じゃあまたね」を言わないようにしている。ささいなこだわりなのでたぶん誰も気にならないはずのことだが。


2年ちょっと前に解散したオーケストラでなんだか不思議な感覚で意気投合した人がいた。
練習期間の半年間、たくさん話をしたし、たぶん結構仲良くなれていた。
練習後の団体打ち上げで仲間内で音楽議論で熱くなり、飲み足りなくてこっそり2人で二次会をしたこともあった。
しかし、その人は、そのオーケストラの本番が近づいたある日、悲しい言葉を発した。
「これで君に会えるのは最後かもしれんな」と。
思わず「そんなことないよ!オケが終わっても飲みに行こうよ!」と言ったものの、お互い結婚していたし、たしかになんだかその後にわざわざ連絡を取りあって会うのが私としても不自然な気もした。
その人も社交辞令を言わない人だった。
同時に、その人の言葉はいつもとてもまっすぐでそれが心地よかった。


そして本当にその言葉どおり、一度も会うことなく2年以上すぎた。
ただ、その間に、私が参加した別の演奏会に素敵な花束付きで来てくれたり、その人が参加した演奏会に招待してくれて行ったりした。
しかし、終演後のロビーで会ったりはしなかった。


今日、自分の企画したアンサンブルイベントに誘って、久々に再会した。


相変わらずすごくいい音楽をする人だったしまた会えてとても嬉しかったけど、久しぶりすぎて、以前どんな風に接していたかすら忘れてしまって、軽い挨拶をしただけで演奏に集中した。


その後、打ち上げで飲んでいたときに周りの話を聞いていたら、その人はよく「二度と会わない」みたいな挨拶をするらしかった。

本人としては「会う気がない」わけではないけど、また会えるとも限らない人にはそのような一見悲しい言葉を言うそうだ。


途中で2人で話す機会があり、近況や今日の熱い思いを目の前のその人に話していたら、何にも悲しいことはないはずなのに涙がこみ上げてきた。
私が一生懸命話すあいだ、その人は2年前と同じようにとても優しいまっすぐな目で私を見つめ、真剣に聞いてくれて、
最後に「がんばったんやな」と囁くように言ってくれた。


愛妻家のその人は、すぐに帰ってしまうかと思いきや、翌日朝から仕事なのに「今日は朝まで飲めるよ」と言ってくれた。
さらに、今日のイベントの主役である超絶上手い現役音大生のバイオリニストも朝まで付き合うと言ってくれたのに、自分の体力が限界をとっくに超えていて、こんな最高な機会に「帰る」という決断をせざるを得なかった。
冷静な判断とはいえ、こんな貴重なチャンスを逃す自分が悔しすぎた。
しかし、本当にここ数年で一番楽器を吹きまくった日だった。
楽しくて楽しくてしょうがなかった。
もっともっと吹きたかった。
でも最後の曲の最後の方で、もう口の感覚がなくなってしまっていて、楽器を鳴らせなくなった。


しかし、今日はとても大きな満足感があった。きっと録音を聴いたら自分の下手さに悶えるんだろうけど、他のみんなの素敵な音が形として残るというのはとても嬉しい。


帰りの電車でその友人からメールが来ていた。
そのメールの最後には「またな」と書かれていた。
「必ず、またね」と返信をした。