逆算したらもう余生

仕事、結婚、恋愛、すべてに疲れて混沌とする世界の狭間でひっそりと生きています。しばらくはブログ引越しの為、過去記事が多いです。

盲腸の手術・入院体験記その2

【2日目】夜も朝も関係なく、痛みで何度も目が覚め、しばらくしてまた眠るを繰り返し、朝6時にまぶしいほどの電気が付けられる。
顔を拭く用に、大きめの暖かいおしぼりが手渡され、これがまた気持ちがいい。
きれいな入院着と体を拭く暖かいタオルも受け取る。
昨日から1日に何度も検温、血圧測定が行われる。
レントゲンは朝1回。
麻酔は完全に切れたが、少し動くだけで傷の外側・内側は激痛だし、腹部全体が痛い。身体中に不快感があり、前日から熱がずっと38度台で下がらず、アイスノンを常に頭の下に入れていた。
今日から水が飲めるため、朝カテーテルがあっさり外される。男性は痛いらしいが、何がどうなっていたのかわからないくらい無痛で無感覚だった。
まだゴハンは食べられないので、ひたすらスマホか読書だが、午後にようやく有料のテレビカードをゲット。1000円で10時間観れるらしい。
やたら眠いし、体は何をしていてもどこかが痛いので、できるだけ眠っていた。
夜くらいから肩や背中の凝りがひどくてどういう体勢が正解なのかわからない。
さらに、やたら看護婦さんにオナラが出たかを聞かれるから調べてみたら、腸が動き出した合図として非常に重要らしかった。
看護婦さんたちが明るく親切なので、痛みを除けばわりと快適にすごせている。


【3日目】
入院してから初めての平日。
朝5時台に採血が行われる。眠いけどこちらはされる側なのでボヤついていてもあまり問題はない。
食事が全粥でスタート。久々の食事はとても嬉しかった。
9時の主治医回診でシャワーの許可が出た。
退院したいと願い出たが、まだ様子を見ないといけないから無理だと言われた。
しかし、「歩けるなら外出してもいい、迎えに来れる人がいるとなお良い」と、外出許可をゲット。
実際、目の前のトイレに行くのもつらいくらい歩く自信はなかったし、迎えに来れる人もいないが、あまりに家のことが心配だったため「このチャンス逃すかー!」とばかりに病院を飛び出した。
いや、実際は歩幅5cmくらいでおばあちゃん並みにゆっくりした動きで歩き、タクシーに乗り込んだ。
家に着いたら、やはり慣れた場所の安心感もあるのか、少し元気になって痛みに慣れてきた。
まずは3日ぶりのシャワーをあび、洗濯をし、家中掃除機かけて雑巾がけして、ゴミ捨て、犬の散歩して薬とゴハンあげて口輪のトレーニング、猫にもゴハンあげて、ようやく気持ちがすっきり。
あっという間に時間がすぎ、病院に戻ったらちょうどきっちり許可を得た17:30だった。
退院したかったから言わなかったが、この日は一日中みぞおちのあたりが痛かった。
しかし、夕飯後にはいろんな痛みが軽減され、ストレッチをやる余裕がでてきた。
家から外用消炎鎮痛剤を持ってきたのでそれをぬって、丸まり癖が付いて硬くなっている体を調整し始めた。


【4日目】
またも朝5時採血。
しかし、かなり調子が良くて、ひょいひょい動けるようになった。
これは退院できるかも、と思っていたが、回診で先生に聞いたら、明日退院ということに。最短日数では帰れなくて残念だったが、昨日帰宅できたし、明日には帰れることが確定したのでよしとした。
帰れないなら売店に行こうと思い、入院以来初めての売店へ。
ヨーグルト2つと野菜ジュース2本とカフェオレを医師の許可なく購入。
退院できなくてやさぐれていたし、元気だから良かろう、と。
食事は相変わらずお粥だが、全体的に量が増えた気がする。
ふと病院内に貼ってあった週間献立表を見たら、一日三食の総カロリーは2000カロリーだった。
全部食べたら太ってしまう量である。やはりお粥は残したほうがよさそうだ。
そもそも、盲腸の原因は「出された食べ物と酒はいただく」という方針による暴飲暴食だと思われるので、「食べない勇気」が必要なのだ。
お粥を残しても高カロリーだし運動不足なので、負担がかからない程度にストレッチをこまめにやった。
翌日退院ということで、夕方にだいたいの入院費の金額が書かれた紙と病院アンケートが届いた。
元々潔癖症でマイルールがめちゃくちゃ多いので、衛生面ではやや不満はあったが大変お世話になったので、それ以外は満点評価を記入した。
テレビカードは翌日の朝ドラ分だけ残して、夜はテレビデーとした。

盲腸の手術・入院体験記その1

正式名称は虫垂炎。2015年1月に別の病院で初めて盲腸の診断を受けたが、そのときは薬で散らして数時間後には普通の生活ができていた。
なので、再発ということになる。
盲腸の手術体験記は、男女によっても病院によってもかなり違うようなので、誰かの参考になれば、と思い、書き残すことにした。


2016年9月10日(土)
【1日目】
前日はいたって普通に過ごし、食事もしていたが、先週お酒の飲み過ぎが続き胃腸に違和感があり、月曜から自然と禁酒していて木曜に普通に飲んだがやはりイマイチ調子が悪い。妙なダルさがあったが夏バテと疲労が溜まっていたのかなあ、くらいな感覚で0時前に就寝。
ところが深夜3時に腹痛で目覚める。下痢な感覚はなく、とりあえず我慢したもののよくなる気配がない。なんだか依然の盲腸の感覚に似ているなあと思ったが、痛みがヘソ周辺で前回と違ったため、とりあえず胃薬を飲んでみた。
しかし、全くよくなる気配はなく今度は吐き気をもよおし吐こうとしたが何も出ない。
もう悪くなる一方な気がしたから、まだマシなうちにと5時に犬の散歩に行き薬とごはんをあげ、猫にもごはんをあげトイレを掃除。
立っているのもつらいため、倒れこみ救急病院を探したら、柏には数軒あり、比較的近く、病院のHPに外来受付が土曜も6時からやってるところを発見。救急車を使う勇気がなかったので6時に着くようにタクシーで移動。
ついて10分後くらいには、外科の先生の診断を受けることができ、寝かされたまますみやかにレントゲンとCT検査。
やはり虫垂炎と発覚。
とりあえず痛みをなくしたいと思っていたら、結構ひどい状態らしく、痛みを取るくらい薬を使ったら歩けない状態になるから手術・入院は免れない状況に。
不運なことに、同居人の元ダンナは福岡出張で翌日夜まで帰らない。しかし、今日の夕方には誰かが家で犬の世話をしないといけない。
意識が朦朧とするなか、元ダンナに電話。この時点で7時。フライトを変更して夕方には帰ってきてくれることがわかり、詳しい話は後にして手術の準備に。
点滴の痛み止めのおかげで激痛からは解放され、手術着に着替えさせてもらう。自分でまったく動けないくらい弱っていたので、寝たまま紙パンツを履かされるところも看護婦さん任せ。
ほぼ予定どおりの9:30にオペ室へ。
ドラマでしか見ないようなやり取りが次々繰り広げられた。
意外だったのは、オペ室は寒いということと全裸になるということと宇多田ヒカルが流れていることである。
背中に部分麻酔を打たれ、次第に胸から下全ての感覚がなくなる。
麻酔が効いたあとに尿を排泄するためのカテーテルを付けられたが当然痛くない。
ちなみに噂に聞く剃毛はされなかった。
全身麻酔ではないため意識もあるし、痺れながらも手は動く。体が異常に冷えてしまったようで看護婦さんが胸と手に湯たんぽを置いてくれた。
「音楽なにか好きなのかけましょうか」と聞かれ、はじめは「先生たちが上がるやつならなんでもいいです」と答えたが「先生たちはなんの曲でも調子いいから大丈夫よ」と言われたのでリクエストすることに。どうやら音源は誰かのiTunesらしく、宇多田ヒカルが流れていたところから系統を推測し、とりあえずセカオワをリクエストしたら入っていた。
胸の下につい立があるから手術の様子は見えないが、執刀医の先生と看護婦さんの仲が良い様子で、やり取りを聞いていて楽しかった。
手術は順調だったし周りの臓器もきれいだったということで、先生が手術完了とともに「9:52」と口にした。
ホッとしたのもつかぬ間で、この後手術箇所の痛みと、下半身麻酔の溶けていく異様なダルさ、体が動かせなくて痛む背中、高熱、口内の乾燥で夜中まで寝たり起きたりしながら耐え忍んだ。
夕方には元ダンナが必要な荷物を持って来てくれた。とても疲れた様子だったので最短の火曜で帰れる前提で家のことの打ち合わせをして、お礼と謝罪を何度も口にし、すぐに帰ってもらった。
ベッド横のサイドテーブルの物すら取れないくらい体が動かないので、スマホとイヤホンと充電器だけベッドにセットしてもらい、介護用ベッドのおかげで多少体が楽になり、ゆるやかに痛みとだるさに堪えながらただひたすら朝を待つ。

 

ネガティヴシンキング

好きな人や気が合う人とは、共通点が多いと感じる。それは、自然と共通点を探したり敏感になるからでもある。
実際、嫌いな人や合わない人よりは共通点が多い可能性が高いが、必ずしもそうとは限らないのではないかとふとよぎったと同時に、どんなに「合う」と感じる人とでも、異なることの方が圧倒的に多いのではないかと思った。


要するに、仲の良さというのは、共通点の数ではなく、
相手を尊重できることや、根本にある思想が近いことなのではないかと思った。
相手を尊重するということは、敬意や思いやりを持つことや、人格否定をしないことであり、
根本の思想というのは、生き方や性格が異なってもその先にあるゴールが近いことである。


親しい人と真剣な話をしたとき、大きく意見が異なる場合もある。それが無性に悲しくなったり、その回数が増えると先行きの不安を感じたりもする。
しかし、「実際は合わないところの方が多いのだ」と覚悟しておけば、これからも関係を続けたいと思う相手には「価値観を認める」と「歩み寄る」ということさえできればそれでいい気がする。
お互いが。


どんなにがんばっていようが、生きていれば良い事も悪い事もある。
この「良い事」というのは人それぞれで、要するに「自分の思い通りになる」ということなのではないかと思う。
他人と関わる以上、自分の思い通りになり続けるなんてことはありえないし、なんとなく「あってはいけないこと」のようにも思う。
なんでも思い通りにする人は、何かしらの武器を持っている気がする。
それは、お金であったり、権力であったり、暴言であったり、暴力やその名の通り「武器」であったりする。


そんなものを使わずに、そして使われずに、心と言葉で人間関係を作っていけたらいいなと思う。

CCC

(20171017)

私は寝起きがいいので、起きた瞬間からかなり頭がはっきりしていて元気だ。
一方、彼氏はまだほっとくと何時間でも寝ていられる年ごろだし、寝起きはぼんやりしていて、その時間に話した内容も覚えてないこともある。
ただ、毎朝、目が開いたときに「おはよう」と言うと、半分(もしくはそれ以上)無意識でも必ず抱きしめてくれる。
ところが先日突然まったく別の行動をとったのだ。 
最近ついつい寝すぎてしまうため、その前日に彼が「何もなくても8:30には起きよう」というルールを自分から言いだした。私としては早起き大歓迎なので、それがしやすいように工夫案を添えてみたりした。
で、用事があるときは必ず私が先に活動を始めるため、私が彼を起こす。つまり彼のアラームをかけることがなかったのだが、 何もないときは同時に起きても大丈夫だし、ついでに猫の朝ごはんも担当してくれるということで、その朝は珍しく彼のアラームが鳴ることになった。
思ったよりもすぐに止めたことに驚いたが、いつも通り「おはよう」と声をかけたら、なぜかウォークマンのイヤホンをつけようとし、「え、どうした?」と聞いたら「音楽聞こうと思って」と言いだした。
「なんで朝一でイヤホンつけて音楽聞くの?いつものギューは?」と聞いたら、なんだか渋々な態度で抱きしめてきた。
「別に嫌ならしなくていいけどなんか変なの」と言ったら「別にいつもと一緒だよ。ごめんね。ちんちんちゃん。」と。

ちんちんちゃん…?

なんで急にそんな呼び方を?!と思ってわーわーと問い詰めたら、どうやら完全に寝ぼけていたようで、上記一連の行動も会話をまったく覚えていなかった。寝ぼけるってこういうことなのかと学んだ。
「何度もちんちんちゃんって呼んだんだけどなんで?いったい私をなんだと思ってるんだ。」と責めてみたものの、言った本人も謎らしいし、たしかに呼ばれる理由が思い当たらないわけではない。 他の女の名前なら怒ってもいい場面だが、むしろ明らかに私のことを指している呼び名である。
そして数日たったらなんだか気に入ってきた。

私は日常生活の中で何度も彼のチ〇コをつい触ってしまう習慣があり、その悪習慣を改善するために、「触ったら貯金箱に100円入れる」というルールを設けている。
彼がふつうに私を名前で呼んだときに私が「ちんちんちゃん、て呼んで〜」と言い出した頃、「ちんちんちゃんだから触っていい」という強引な新ルールを設けて、自由気ままにしていた。
その暴君っぷりにだんだん彼が耐えられなり、優しい彼が悩んだあげく突然叫んだ。
「触るならキンタマにして!!」

タマならいいのか…?という疑問はあるものの、素直に「わかりました」と了承。
サオは100円だけどタマはタダ。
いつもどおりパンツに手を入れようとすると「ダメ!」と避ける彼も、「タマしか触らないから!」と言うと「なら、よし。」と素直にチ〇コを差し出してくれる。 「しぼんでるときは小さすぎてサオだかタマだかわかんないよ」と訴えかけたら、「シワシワなのがタマな。」とこれまた優しく教えてくれた。

ふと彼が「ちんちんちゃん。略してCCCだね。」と言ってバイトに出かけていった。
このサオタマシステムはCCCルールと名付けられたのであった。

いつかやりたいこと

昔からやりたいように生きすぎて、同時に失敗や疲労も蓄積され、元来超絶めんどくさがりやな自分にはもう何かをやりたいと強く思うことがない。全く、つまらない、さびしい人間になってしまったと思う。


ただ、旅行には行きたい。
というのも、ややこしい性質の犬を飼い始めた6年前からほとんど旅行に行けなくなってしまった。2年に1度、関東周辺に一泊が関の山だ。
更に離婚してからは実家に帰ることも、丸一日出かけることもできなくなってしまった。
その気になれば、犬の気持ちや事情を無視してホテルに預けたり、長めの留守番をさせればいいのだが、なんだかかわいそうで出来ずにいる。
その不便さがたまにストレスになる。
が、その犬がいる限り、住むところが保証されている。前の旦那は、私と犬猫が最低限困らない暮らしを約束してくれた。
だから、あの子たちがいて、食う寝るところに困らず、不自由な人間関係に悩まなくていいというだけで、私には十分幸せなのだ。


話を戻すと、旅行はとても好きだ。
だから、犬猫がお星様になってしまったら、その悲しさに飲まれないように楽しい夢を置くことにした。
残ったお金で、47都道府県をたっぷり時間をかけてまわり、飲み歩いたり、地方に住む知人友人に会い、可能ならオーボエも吹きたい。
その中でいい土地を見つけたらそこに住んでみるのもいいかと思ってる。


誰も自分を知らないところで1から始めたら、過去にとらわれることなく、また全然違う未来が描けるかもしれない。


幸せは続かない。だけど辛いことも続かない。
全力はいつも尽くしている。
不恰好なくらいに。
それでも世の中どうにもならないことばかりだ。


爆笑問題の太田の言葉。
「未来はいつも面白い」


毎日、明日を楽しみに生きていきたい。

 

役割

人と人とのつながりには、必ず「役割」が発生している。
たまに「利用されている」とネガティブな感じ方をする場合もあるが、極論を言えば、すべての人間関係は利用し合うことで成り立っている。
その利用の目的、すなわち一方の役割が「お金」であったり「性欲」であったりすると、途端悪の要素が強くなるが、前向きなことで言えば、たとえば友人や恋人なら「自分を楽しい気持ちにしてもらうため」とも考えることができる。
どんな理由であれ、利用価値があるというのはとてもありがたいことなのだ。
なぜなら本当に悲しいのは、利用価値がないと判断され、関わる理由がなくなることだ。
ほとんどの場合、人には「代わり」がいる。仕事はもちろん、友人もライフステージによって変わるし、恋人や結婚相手、そして浮気相手に求める役割も、人によって異なるし、変化もする。

私の憶測もまじってしまう話になるが、
最近、不倫をしていた友人(女)がフラれた。その子も相手の男性も結婚していたのだが、一応恋人という名目だったようだ。そのフラれたきっかけは、彼女が相手の男性に「奥さんの話をしないでほしい」と言ったことだった。付き合ってからずっと奥さんの話を普通にする人で、付き合い始めは耐えられたが、二人の関係性に歪みが見え始めてからはその話が苦痛だったようで、とうとう切り出した。
男性側の心理の真実はわからないが、私が思うに、彼がしていた奥さんの話は愚痴であったようなので、逆に彼女が特別な存在だったからそういう愚痴を話せる貴重な存在で、その言葉には「妻と違ってきみとは気が合う」という愛情を含んでいるつもりだったのかもしれない、と。
結果、彼は「そんなふうに考える(言う)ならもういい」になった。彼女は彼の求める役割を果たせなくなってしまったのだ。
実際は二人の間にいろんなことがあったのも間違いなく、この説はあくまでたとえ話だ。

恋愛や結婚がうまくいかない人にありがちなのが、「相手が自分に何を求めているか」と、「自分が相手に何を求めているか」があやふやであることだ。完ぺきに合う人間はいないので、大事な部分をきちんと理解していることが重要なのだ。
もし、相手にあれもこれも、と要求するのであれば、自分も同じくらいあれもこれも与えられる人間でないといけないのに、思考が自分勝手な人は自分は未熟なのに相手には高いものを求める。
恋愛はボランティアではない。与え合うべきなのだ。
世の中にはたくさんの人がいて、その中で出会う確率も限られていて、自分が人を好きになることも、その相手もたくさんの人の中で自分を好きになってくれることも、本当に特別なことなのだ。

私は、自分が楽しく生きるために、友人や知人を利用している。
なぜなら、あの人はおもしろいし、あの人は真剣な議論ができるし、あの人は楽器がうまいし、あの人は酒が楽しく飲めるし、あの人はいつも触れ合いたい。
魅力的な人たちばかりだ。
私もできる限り利用価値のある人間でい続けたい。

地域猫クロちゃん

うちから徒歩数十秒の古い二階建てアパート。お年寄りしか住んでいないそのアパートの前には、クロちゃんというキジトラの猫が数年前から居着いていた。


元々そのアパートの一人暮らしのおじいさんが飼っていた猫なのだが、そのおじいさんが遺体で近所の手賀沼の近くの公園で発見された。金銭トラブルからの殺人事件で、ほんの一瞬だがアパートにはドラマで見るような黄色いテープが貼られ、立ち入り禁止になっていた。当然ながらそのまま中にいることも許されなくなったクロちゃんはそのまま野良猫となった。
事件を知っていた近所の猫好きはみんなでクロちゃんを守ることにした。隣に住んでいたおばあさんは猫に興味がなかったようだが、玄関先に水とカリカリの猫エサを置くようになった。
(事件の詳細)
http://news0718.blog.so-net.ne.jp/2012-12-19

 

私は犬を連れてることが多く、はじめは犬を怖がりクロちゃんは逃げていたが、うちの犬もクロちゃんも慣れたのか、犬がいても近寄ってくれるようになった。


大雨や台風や真夏や真冬。よくクロちゃんのことが気になったが、なんだかんだでいつも生き抜いていた。


仲良しのご近所さんがちゅーるを持ち歩いていたのを真似して、以前一緒に住んでいた彼氏はたまにちゅーるをあげていた。クロちゃんはそれをいつも喜んで食べていた。


今年も寒い冬を乗り越え、4月の暖かい日にいつもどおり日向ぼっこをしながら眠るクロちゃんに「あたたかくなってよかったね」と声をかけていた。


しかし、4月の下旬になるころ、アパート前に水も餌もないことに気づいた。
同時に何日もクロちゃんを見かけていないことにも。
嫌な予感もよぎったが、とにかく毎日周辺を見渡した。クロちゃんを見かけることはなかった。
いつもクロちゃんにちゅーるをあげていたご近所さんと話をしたら、その人も4/14を最後に見かけていないらしく、「次に会ったら保護する」とせつなそうに言っていた。


クロちゃんは数年前から首下に皮膚病を抱えていた。顔の大きさくらいに皮膚がただれ落ち、赤く見える皮膚はいつも痛々しかった。しかし、先住の動物やマンションの規定を考えると保護することが厳しかった。


今朝、ようやくエサをあげていたおばあさんに会えた。
恐る恐るクロちゃんのことを聞いたら、気難しいおばあさんだけど丁寧に話してくれた。
「ああ、クロね、急に2、3日水もカリカリもなくならなくてね、たぶんどっかで死んだんだろうね。猫は死に際見せないらしいからね。寿命だよ。もう歳で最近ゴハンもあまり食べなかったし。来ないから置いといてもしょうがないから片付けたよ。」


死んだと決め付けてしまうのも抵抗はあったけど、あんなに自由なのに何年も同じ場所に居続けていた猫がいなくなったのだ。何か特別な理由はある。


切なくて思わず涙が出た。
でも、クロちゃんはずっと住んでいたここを離れたどこかに行ったのだ。そこはきっとこの場所より居心地のいいところに違いない。
猫は居心地のいいところを探すのが得意な生き物だ。夏の暑さからも冬の寒さからも解放されるところに行ったのだ。首の痛みにも苦しまなくてよくなったはず。ずっと頑張って生きてたね。みんながそれを知ってるよ。
クロちゃん、何年もみんなを癒してくれてありがとう。